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S社は米テキサス州ダラスにあり、Y堂と取引のあったI商事サンフランシスコ支店長のWを通してS社の門を叩いた。

Wも「外資と組むならその業界のトップか2番手がいい」という持論があったから、Y堂の意向も理解できた。 実はY堂がS社の存在を知る前の70年から71年ころ、Iも水面下でS社に接触を図っていた。
その後、色よい返事をもらえなかったが、成長途上の取引先の一社であったY堂からの要請でもあり、Iは再び提携交渉に向けた準備を始めた。 最初の訪問は72年5月。
Sが切り込み隊長だった。 ところがS社は欧州への進出を検討中で、極東の地アジア、日本、ましてY堂などは眼中になかった。
門前払いに等しい扱いを受けた。 それでもSやSはあきらめなかった。
一度アタックして駄目だったからといって、日本に引き揚げてくるような2人ではなかった。 Iを通して交渉開始の糸口を探ることにした。
IもS、Sの熱意に応えようとS社との接点を再度探った。 「話だけは聞きましょう」。
73年春、メッセージがS社からIを通じて寄せられた。 事態が動き出したのはある偶然が重なった結果だった。
SはD社との提携交渉をこなしながらIと組み、米コンサルタント会社エスプタインーアンドーサンズ社の協力を得て日本で生鮮食品の加工処理工場(プロセスセンター)建設を検討していた。 Iの担当者は建設部門企画統括室のWで、たまたま不動産調査のためにアカプルコに一緒に行ったシカゴの弁護士Jと雑談をしているうち、MがS社の顧問弁護士もしていることがわかったのだ。
このMを若林に紹介したのが、Iシカゴ支店長だった降旗健人。 その降旗のシカゴ時代にMの娘が秘書として働いていたという。

降旗は既に日本に戻り総合開発部長として提携交渉の行方を見守っていたが、このコネクションを生かしてS社に再びアプローチした。 S社にとってY堂は海のものとも山のものともわからない存在だったが、総合商社のIの後ろ盾を得て、交渉は少しずつ動き始めた。
実際、I(I)Y堂とIが同じITOという名称をつけていることから、S社がY堂をI商事系の企業と勘違いしたことも事態を好転させるきっかけになったという。 不思議な縁に導かれるように重い扉はこじ開けられた。
いずれにせよ73年5月、最初にS社に押しかけてから約1年がたっていた。 日本市場やY堂にようやく興味を持ち始めたS社をやる気にさせなくてはいけない。
そこで、一回目のプレゼンテーションでは日本市場がいかに魅力的であり、Y堂と組むことにいかにメリットがあるかを説明する必要があった。

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